さて、今日は昨日書いた
同じ国名で時代が違うもののお話
検索してとても勉強になったWEBをご紹介いたします。
魏? 北魏? 西魏? 東魏? 中国の王朝名はなぜかぶるの? (mouka.info)
以下引用。
例えば魏。
- 戦国時代の魏。
- 曹操が実質的に建国し、その息子曹丕が後漢献帝から禅譲を受けて帝位に就いた魏。
- 鮮卑族拓跋氏の北魏。
- 北魏が東西に分裂してできた西魏・東魏。
さて、今日は昨日書いた
同じ国名で時代が違うもののお話
検索してとても勉強になったWEBをご紹介いたします。
魏? 北魏? 西魏? 東魏? 中国の王朝名はなぜかぶるの? (mouka.info)
以下引用。
例えば魏。
さてさて、それでは
応神天皇14年が283年だとして
その頃の荒れていた中国大陸といえばどこかな?
って単純にウィキをみたら。。。
280年に
呉、晋により滅亡
って記載があります。
弓月君は呉からやってきたのでしょうか。
ウィキで見ると、222年に魏に対して称臣していた孫権が
独立を宣言した年らしいです。
つまり、呉ってもともとは魏だったみたいです。
魏志倭人伝って資料もありますし
魏と倭との関係があったことを考えれば
呉から来たと考えられなくもないですね
でも魏って同じ名前で二つあるみたい。
戦国時代の魏(古い)と三国時代の魏。
魏志倭人伝はどちらの魏なのでしょうか
あとで調べてみたいです。
ひとまず、呉に戻して。。。
下記サイトの中に
九州国立博物館振興財団 - The Road to DAZAIFU ~大宰府への道~ (kyukoku.or.jp)
以下、引用
境内への入り口といえば「呉橋(くればし)」も見学してみてはいかがだろうか。
寄藻川(よりもがわ)に架かる木造屋根付の廊下橋だ。
八幡宮と同じ朱色の橋は、中国の人(呉人)によって架けられたとされ、
鎌倉時代にはすでにあった。
(引用終わり)
とあります。
今回は弓月君から考え始めたので
古墳時代に遺伝子の変化が大きかった
という部分に注目しているわけですけれど
それ以前の弥生時代も
大陸からの影響があったと考えられますよね。
縄文以降は、呉や魏、そしてその前から、
この国との関わりは大きいと推察されますね
さて、応神天皇14年。
諸説あると思います。
それに今はYouTubeでも
さまざまな見解が自由に発信されているので
正直、何年なのかの確定は難しいでしょう。
検索していたら、とても素晴らしい御研究を拝見したので
ご紹介したいと思います
作間幸太郎氏
「紀元3~4世紀の天文異変について(宋書天文志100年の記録)」
054-058KSakuma.pdf (nao.ac.jp)
以下、引用
「(やゆよ前略)泰始年間の末から太庚年間のはじめにかけて、
たくさん の天変地異がおきた。この時、新興の晋が三国の一つ
呉を滅亡させてしまった。 天変地異の元凶は呉にあったと言うべきである」
ここで言う「泰始年間の末」とは AD275年ごろ、
「太庚年間のはじめ」と は AD283年ぐらいを指している。
また文中の「災異数多く現れる」の災異とは彗星のことと考えられる。
それを示すために、別紙「宋書天文志の天象一覧」を作った。
その中の(表 1)をみると、 AD276年、277年、281年と
それぞれ彗星が集中して出現した年がある。
(引用終わり)
AD276年、277、281年に
彗星が集中して現れる
これはスゴくないですか
案外、この現象を見て
日本へ行こうと思ったのはあり得ると思います。
ここ最近で思い出すのは
古代都市が巨大隕石の空中爆発で消滅したらしい
というニュースです。
数年前には千葉工業大学学長
惑星探査研究センター所長でいらっしゃった
故松井孝典氏のご講演でも、昔は現代より
流星が多かったと拝聴したことを覚えています。
応神天皇14年が283年説
あってるのではないでしょうか
少なくとも、応神天皇が存在していたかどうかは
別としても、弓月君が日本に来たという時期
これは283年でいいように思います。
さてさて
古代の天体現象、で調べようとすると
応神天皇14年が本当はいつなの?
って部分から探らないといけないので
難しいです
ひとまず、中国の天文学というウィキを翻訳すると
(以下引用)
ほとんどの星座は、中国の戦国時代(紀元前481年〜紀元前221年)に
占星術師であったShi Shen-fuとGan Deの作品に基づいています。
(引用終わり)
という文章があります。
紀元前に既に占星術師がいることがわかっています
ですから、秦氏の伝承、
星占で日本で来ることにした
というのは本当の可能性があります。
応神天皇14年。。。
本当はいつなんでしょうね~
もう少し調べてみようと思います
さてさて、今更なんですが占いの歴史はというと。。。?
ブルータスさんの記事によれば
日本の占いの歴史、知ってる?弥生時代から現代までを振り返る | ブルータス| BRUTUS.jp
古代・弥生という区分で(以下、引用)
太占(ふとまに)
鹿の肩甲骨に火のついた棒を押し付け、骨のひび割れの形で吉凶を判断する日本最古の占い。
盟神探湯(くがたち)
容疑のある人物に神に誓いを立てさせ、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせる。正しい者はただれず、罪ある者はやけどする。結果で正邪を判断した。
託宣(神託)
霊的存在・超自然的存在と直接、接触・交流できる呪術者が託宣し、神のお告げとしてその意思を述べていた。邪馬台国の女王・卑弥呼も呪術者で、弟がその言葉を解釈し伝える審神者(さにわ)の役割をしていたとされる。
(引用終わり)
星占いは当時の日本では
なかったと考えられてるみたいですね
飛鳥時代以降からの発生でどうやら
古墳時代が終わった頃みたい。
もう少しだけ早く使っていたかもしれないですよね
古墳時代からDNAの変化が大きかったわけですし。
ただ、星占の記録がない。
もちろん、星占ではない場合も考えられます。
秦氏がわざわざ伝承で「星占」という言葉を用いていたのは
ひょっとしたら権威付けのため?
本当は託宣だったかもしれないとも思います。
星占は伝承を公開した時点では
大変真面目なものだったでしょう。
ただ、前に書いたように、大陸を民族で大移動するというのは
大変大きな決断ですし、星に何かしらの
変化を見て取り、決断に至った可能性もあると思います。
応神天皇14年、その前に
どのような天体現象があったのでしょうか❓
気になりますね