そうそう、それでどちらが古いか?って

以前書いた時は、カラハンテペが300年程新しいみたい、

って書いたんです。

 

で、最近の研究によると、どうやらカラハンテペが古い可能性が

ある、という文を見つけたのだけれど

ニュースとして発表されてるというより、可能性がある

なので、これからの情報が期待されます爆笑ブタネコ音譜

 

それに、Xを見ていると

カラハンテペの周辺私有地に

特徴的なレリーフの石像が見つかったらしく

もともと面積もギョベクリテペより広いみたいで

とにかくこれから物凄いことが

わかってくるかもしれません爆笑ブタネコアップ

 

ギョベクリテペに行ったあと

半年でコロナになったので

すぐにバズるかなと思いきや

今からのお楽しみになりました爆笑ブタネコ音譜

 

もっと近ければまた行ったのにな~

カラハンテペ行きたいな~

何よりトルコ最高ですニコブタネコキラキラ

時々、ギョベクリテペの話題が出るためか

アクセスとしてギョベクリテペより古い?という記事に

アクセスされることがあります。

 

翌日すぐに追記しているのですが

ブログの性質上、そのページのみアクセスすると

違う情報として受け止められかねないなあ

と時々気になっておりました。

 

ブログトップページを開いていただきますと

数件記事が羅列されて、一度のアクセスで

御覧になれるようにはしてるんですよね。

一記事ずつのアクセスだと面倒ですし

アクセス数を増やす目的はないので

そういう設定にしています。

 

とはいえ、日本語しかわからず

なかなか本当の情報に辿りつくのも難しいので

日本語のニュースを期待しているのですが。。。

 

なぜかあまり見かけないのですよねぶーブタネコ魂

人気ないのかしら。。。!?

 

長くなったので次に続きます。

さてさて、文章や単語を羅列してしまった最近ですが

その結果どうなっているかといいますとニコブタネコキラキラ

 

かなーり気が付いちゃいましたビックリマーク爆笑アップ Σブタネコ!?

                 まじですか

 

検索とはいえ、自分で調べるって

本当に大事だな、と改めてにやりキラキラ

 

それに、あちこちに興味を持つっていうのも

大事だなあと。

 

今回は籠神社さんにお移りになった

稲荷神社にふと興味をもったことが

きっかけだったのですが。。。

 

最終的に、自分がずっとやってきたことの

知識を駆使して解いていくことができる

面白さを体験することになりましたニコブタネコ音譜

 

先人の知恵が暗号になっていて

謎解きしている気持ちです。

 

まだまだ調べていこうと思います爆笑ブタネコ音譜ドキドキ

 

 

 

 

 

皆様、こんばんは爆笑ブタネコ音譜

相変わらず、検索し続けている毎日です🎵
最終的にはちゃんと本だったり資料を読んだりする必要がありますが

遊び半分でやっておりますのでこのまま走り続けますにやりブタネコ音譜

 

呉を検索していくと、ウィキに

日本に関する伝承というページを見つけましたニコブタネコ気づき

 

以下、ウィキペディアより少し長めですが引用しておきます。

 

中国では早くから、日本は太伯の末裔だとする説があり、

たとえば『翰苑』巻30にある『魏略逸文や『晋書』東夷伝[4]

梁書』東夷伝[5]などには、倭について「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う)とある[6]

これらはきわめて簡潔な記事であるが、より詳しい記述が南宋の『通鑑前編』、

李氏朝鮮の『海東諸国紀』や『日東壮遊歌』等にある。

「呉の太伯の末裔説」が形成された下限(史料の初出)は、

『魏略』が成立した3世紀後期であるが、の滅亡は紀元前473年であるため、

時間的隔たりは甚だしい。

日本では、南北朝時代の禅僧の中巌円月が、日本を太伯の末裔だと論じたといわれている[7]

一方で北畠親房の『神皇正統記』応神天皇条は、

「異朝ノ一書」に「日本ハ呉ノ太伯ガ後也ト云」とあるのを批判しており、

室町時代の一条兼良も、『日本書紀纂疏』巻一で太伯末裔説を批判している[8]

イエズス会宣教師ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』は、

神武天皇は太伯の2番目の弟である季歴(虞仲と季歴を混同したものか)の

第6代の子孫であるとしている[9]。江戸時代に入ってからは、儒学者林羅山

『神武天皇論』で神武天皇の太伯末裔説を肯定した[10]

 

(引用終わり)

 

中国での伝承を記載する時って

自分の国に不利になるような内容でなければ

特に嘘を書く必要はなさそうな印象です。

呉が滅亡した紀元前473年で時間的隔たりがあるってことですが

呉って同じくウィキによれば何度も同じ国ができるんですよね。

 

(以下別のページ「呉」より引用。途中省略しています)

 

 
 
伝承としては古い「太伯の後」ですが

その時代にまた呉ができています。

その伝承を辿ったり利用したりすることもあるかな、とニコブタネコキラキラ

伝承を自分たちのアイデンティティとして

利用するというか。。。

 

親しみをもたないと自称しないと思いますし

本当に言い伝えがあったのかもしれません。

 

さて、今までの部分をまとめてみましょニコブタネコ音譜

 

考えることを始めたのは

籠神社に行って、稲荷神社が気になったから。

稲荷神社を探ると初午が出てきた。

干支との関係はあるのかな!?と考えたけど

稲荷神社だけではわからず

秦氏の伝承、弓月君のこと、日本と魏や呉の関係も調べる事に。

 

もう一つの理由として

日本人のDNAが古墳時代でかなり変わっていることに

興味を持ったから。

 

とはいえ、今考えると

縄文から弥生も、変容というか

かなり混ざっていった様子がうかがえます。

 

いったん、古墳より前の弥生から

考えていこうと思いますニコブタネコキラキラ